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中世ヨーロッパ史に関する個人的覚書
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 赤ずきんで検索すると、研究・考察しているサイトが山のように見つかります。
 そんな中で、昨日今日この分野に脚を突っ込んだばかりの私が物を言うのも恥ずかしい限りですが、ひとつ私もグリムの赤ずきんについて考えてみたいと思います。
 
 こちらに明るい人の間では常識ですが、グリムの赤ずきんはフランスのシャルル・ペローが書いたペロー童話に収録されているものを再構成した物語です。
 よって、赤ずきんという物語に込められた「グリムの思惑」を考えるために、とりあえずしなければならないことは「引き算」です。
 
 「グリム赤ずきん - ペロー赤ずきん = ?」
 
 答えは、

①猟師が登場する
②赤ずきんとおばあさんが助かる
③狼の腹に石を詰めて殺す

 もう一つの話のほうでは、そもそも大筋からして異なっていますが、

④狼を水の入った桶に落として溺死させる

 やや恣意的ですが(笑)、こんなところでしょうか。
 
 私がこの歳になって、改めて赤ずきんを読んで、最初に「おや?」と思ったのは、①です。これは最大の疑問といっても良いでしょう。
 まず、鉄砲の存在。
 ここまで完全にファンタジーの世界で物語は進み、少なくとも私の頭の中では中世世界が広がっていました。しかし、猟師が鉄砲を持ちだした瞬間に、その前提がガラリと崩れます。
 話の流れとしては、むしろ弓矢、せめて弩を使ったほうが遥かに自然な気がしますが、グリムは、弓矢ではなく鉄砲という近代の道具を選びました。
 
 更に、猟師は眠っている狼の頬に鉄砲で狙いを付けながらも思い直し、あえて殺さずに、生かしたまま赤ずきんを助け出し、そして狼の腹に石を詰めるという、実にまだるっこしい殺し方をしています。
 何故グリムは「鉄砲で撃ち殺す」事を避けて、あえて「石で殺す」事を選んだのでしょうか?
 
 これは七匹の子ヤギでも同じ描写があり、そこからこの部分を引っ張ってきたようです。
 ちなみに、七匹の子ヤギにも赤ずきんに共通する興味深い小道具が登場しています。
 それは、柱時計です。
 脱進機を使った、いわゆるアナログ時計の機構そのものは一四世紀には登場していますが、しかし、やはりファンタジー世界に突然現れた「時計」と言う近代の道具に違和感を感じるのは自然だと思います。
 そして、最後の子ヤギはまさに柱時計によって狼をやり過ごし、そして、母親とともに兄弟を助けだしたのち、狼の腹に石を詰め、泉で溺死させるわけです。
 
 単なる類型の童話だと言えばそれまでですが、何故、わざわざそのような展開にしたのかが気になります。
 どちらの話においても、「鉄砲/柱時計」と言う近代の道具によって脅威が排除され、「石(あるいは水)/石および水」によって狼を殺しています。
 いったい、近代の道具とは、そして石や水とは、何の象徴なのでしょうか。
 
 これは私の想像ですが、近代の道具はずばり「キリスト教」を象徴しているのではないかと思います。
 グリムが赤ずきんを何年頃と想定していたかは定かではありませんが(そもそも想定しないのがメルヘンの条件です)、少なくとも、中世世界においてキリスト教とは、まさしく「最新の科学」であり、「最先端の知識」でした。
 人間社会のみならず、街の外に広がる脅威に満ちた世界をも、全て「創造主による被造物」として一元化し、あらゆる理不尽な運命を「神の御業」として解釈し、古代世界から「未知」という要素を追放したのが、「中世世界におけるキリスト教」です。
 そして、赤ずきんも子ヤギも、鉄砲や柱時計という、まさしく「最先端の科学」によって狼の脅威を排除しています。
 
 次に、石と水について考えます。
 やはり赤ずきんを読んで「うん? 石と水?」と思い当たるものがあって、本を取り出しパラパラとめくって、見つけました。
 ハインリッヒ・ハイネの「流刑の神々・精霊物語」のうち、精霊物語の一節です。
 一部を引用します。
 
――引用ここから――
 古代ドイツの法律のなかにはしかしたくさんの禁令もあった。すなわち川と木と石の近くで礼拝をしてはならないという禁令。これはある種の神性がそのなかに宿るという異教的迷信からくる。
 (中略)
 この三者、石と木そして川はゲルマンの信仰の主要動機である。それによって信仰は石のなかに住む存在、つまりこびとと交流し、木のなかに住む存在、つまりエルフェと交流し、水のなかに住む存在、つまりニクセと交流する。
 (中略)
 元素ごとのやりかたでは火に対して第四級の精霊、すなわちサラマンダーをあてることになる。
――引用ここまで――
 
 これを踏まえて赤ずきんや七匹の子ヤギを読むと、「石や水で殺す」ことが、途端にとても重い意味を帯びてきます。
 しかも、「鉄砲・柱時計=最先端の科学」によって狼の脅威を取り除いた上で、です。
 グリムは最先端の科学を持ち出しながらも、狼という悪魔に裁きを下すのは、あくまでも石や水を用いているのです。
 更に、赤ずきんの物語全体が「森の中」で展開すると言ったら、ややこじつけになるでしょうか。
 しかし、もしもここに三種類のゲルマン信仰の対象が隠れているとしたら、もうひとつ、大きな要素が現われるのです。
 森(木)と石と水は登場しましたが、もうひとつ、火はどこにあるのでしょうか?
 ここで、初めて「赤」ずきんに意味が出てきます。
 グリムがペロー童話から再構成した際に、ペローがかぶせた赤い頭巾を火の色に見立てたのではないでしょうか。
 となれば、赤ずきんの物語は、

①最先端の科学により悪魔の脅威を取り除き
②石と水によって悪に裁きを下し
③それらの物語は森の中で進行し
④物語の中心に「赤」ずきんが存在する
 
 このように読み取ることが出来ます。
 結論を言うと、グリムがこの話を再構成する時に考えていたのは、「キリスト教を立てつつも、古代ゲルマンの民間信仰を尊重する」と言う、異なる信仰の両立だったのではないかと想像できるわけです。
 
 こうなるとグリムの宗教観について気になってくるところですが、前回の講義で質問したところ、グリム兄弟は敬虔なプロテスタント派だったそうです。
 カトリック派だとしたら、この考察のような考え方は絶対にしない様な気がしますが、プロテスタント派はどうなのでしょうか。
 ちなみに、グリム童話のKHM200番以降に宗教色の強い物語が数多く登場すると教えていただいたので、いずれはそちらも読んで、グリムの宗教観について考えたいところです。
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くたばり損ないの猫
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ドイツ・イギリスを中心に中世ヨーロッパの生活習慣、民俗学などを勉強しています。
最近はブリュ物語の翻訳ばかりやってます。
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