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中世ヨーロッパ史に関する個人的覚書
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 岩波文庫の完訳グリム童話集を全巻読みました。
 一日に三~四話ずつ読んでいたので、随分と時間がかかりましたが、その分じっくりと味わえたと思います。

 翻訳者である金田鬼一氏の言い回しは、正直なところかなり古臭く、特に解説において仏教的な比喩が目立ったのですが、しかし、かなり原文の意図に忠実に訳されているようです。
 五巻の最後に書かれているのですが、金田氏はお子さんを二人、幼いうちに亡くされているそうで、それによって仏教の道へと入ったのではないかと愚考します。
 亡くされた子供たちに捧ぐものとして、その上で氏の主張を踏まえて改めて読むと、この古臭い翻訳にはまるで子供に読み聞かせるような、とてつもない愛情が感じられます。
 
 また、後書きで念入りに説明されていますが、しばしば「本当は怖い」などと話題になる通り、グリム童話には残酷な話も多々含まれています。
 しかし、それらの話を「残酷だから子供に見せるべきではない」と言う(ごく一般的な)論調を一蹴しています。
 氏の「『グリム童話』の取扱い方に関する私見」が書かれていたので、その一部を抜粋したいと思います。

――引用ここから――
 『グリム童話』には残忍な趣向があると言われるが、これは何も『グリム童話』に限ったことではない。私なども子どものころ、「ばばあ食ったじじいや、ながしの下の骨をみろ」とうたっていたことを想いだす。
(中略)
 要するに、『グリム童話』は、大自然の法則に法って正邪善悪の差別を教え、万物相互扶助のもろもろの生態を示して、その基調となる草木愛、すなわち対人間愛や対動物愛を超越した対植物、さらにまた対無生物の大乗的純愛の尊さを悟らせる。この心境が、楽あれば苦あり苦あれば楽ある長い旅路のいや果ての収穫でなければならぬ。『グリム童話』は、いわば大自然が書きしるし、人間これを読むとでも言うべき記録で、児童どころか成人にも読みちがえられてはならぬ。読みちがえなければ、『グリム』は世にも楽しい話の宝庫である。
(後略)
――引用ここまで――


 
 さて、内容についてです。
 正直、私は中世ドイツの民俗学を勉強することを目的として、言ってみれば「うがった見方」でグリム童話を読みました。
 金田氏の志とは大きく異なる方向性ではありますが、物語におけることの善悪や是非は横に置いといて、「なぜ、どのような背景において、このような民話・寓話が生まれたのか、伝えられたのか」に思考を巡らせることにより、昔のドイツの人々の生活風景や価値観を垣間見ようという試みです。

 まず、全体を眺めて、とても強く感じることがあります。
 それは、中世から近代にかけてのドイツの飢餓、飢饉の厳しさ、食料を失うことへの恐れです。
 その根拠として、グリム童話にしばしば登場する三つのキーワードを挙げたいと思います。
 
 一つ目は、食人行為。
 「柏槇の話」をはじめ、食人行為の描写はグリム童話では珍しくありません。
 既に触れたように、残酷な側面としてしばしば取り上げられるこの描写ですが、人が人を食べる状況とはなんだろうかと考えると、やはり極限状態の飢餓が真っ先に思いつきます。
 諸説ありますが、有名な赤ずきんは元はかなりエロチックな話で、類話の中でも古いものには「狼の言うままに、上着から下着まで、一枚一枚脱いでは暖炉に放り込む」と言う、露骨なストリップ描写も見受けられます。
 その上で、狼の待つベッドに入るわけですから、ここで「狼に食われる」と言う言葉がなにを暗示しているかは言うまでもありません。
 ペロー童話の時点ではこの露骨な描写はなくなっていたようですが、ペロー童話は元々宮廷サロンの女性向けに書かれたという点、「少女がベッドの中で狼に食われて物語が終了する」という点において、やはり性的な暗示を免れません。
 しかし、グリムはこのあとに「狩人が狼の腹を裂いて赤ずきんとおばあさんを助け出す」と言う描写を追加しています。もちろん、性行為の結果としてお腹の中に入るはずがありません。グリムの「赤ずきん」においては、狼は赤ずきんを性的な意味ではなく、文字通りの意味で「食べた」ことになります。
 つまりグリムは赤ずきんにおける「見方によっては性行為を表していると受け取れる描写」を「明らかな食人行為の描写」へと変化させているわけです。
 この点一つを取っても、グリムが童話の中において「食人行為」にある種のこだわりというか、「欠かすことの出来ない要素」としての認識を持っていたと感じ取れる気がします。
 
 二つ目は、魔法の宝物。
 善人が善行を行った結果、神様や聖人に魔法の宝物をもらう話は、グリムにおいても一つや二つではありません。
 では、その魔法の宝物はどのようなものでしょうか。
 神様や聖人が「三つの宝物」をくれる場合、これは同じ類話を起源に持っているからかも知れませんが、必ず登場するものがあります。
 金貨を吐き出すロバや、どんな敵をも打ち倒せる武器だったりしますが、なんといっても筆頭に出てくるのが、「ご飯のしたく!」と言うと最高級の料理が無限に出てくる御膳です。
 これは、必ずといって良いほど、間違いなく「筆頭に」登場します。
 ここには、昔の人々が「魔法の宝物/神様の奇跡」になにを望んでいたのか、逆に言えば、生きていく上で、「なにを最も恐れていたのか」が現れていると考えられます。
 昔のドイツの人々は「魔法の宝物はどんなものが欲しい?」と言う問いに対し、何にも優先して「食べることに困らない宝物」を求めていたことが伺えます。
 当時の人にとって、金貨などよりも、戦う力などよりも、まず何にも増して「食べもの」こそが最も尊い宝物であったのは間違いないでしょう。
 
 三つ目は、くるみ。
 グリム童話には「三つのくるみ」がしばしば登場します。
 くるみとは、もちろん硬い殻の中に食べものが入っている植物です。(日本のくるみは「鬼くるみ」といい、特別硬いもののようですね。西洋のくるみは形状こそ同じですが、もうすこし柔らかいようです)
 グリム童話の中ではくるみの殻には食べものは入っていません。
 しばしば、王女様が想い人を取り戻すためにくるみを授けられたり、何らかの手段で入手します。
 そして、くるみの中には太陽や星のように綺麗なドレスが入っていたり、無限の金貨が入っていたり、同じく無限の宝石が入っていたりします。
 いずれにせよ、入っているのは「食べもの」ではなく、むしろ「食べられない財宝」です。
 つまり、グリム童話において、「くるみの殻」は「宝箱」として登場するのです。
 もしも、なんの前提も先入観もなく、「素晴らしい宝物が出てくる入れ物」を持って行くとしたら、小袋とか、小箱とか、そういったものが先に出てくると思います。しかし、民話や寓話では、袋や箱ではなく、くるみに宝物が詰まっています。
 なぜでしょうか? 当時の人々にとって、くるみの殻とは、神様が食料を与えてくださる際の「宝箱」に他ならなかったと考えるのが妥当です。
 「くるみの殻の中に詰まっているもの」は、それこそ「無限の金貨」「無限の宝石」に匹敵するほどの価値があるものだったのです。

 グリムがどのような意図をもってこれらの話を編集したのかは知るよしもありませんが、しかしグリムが蒐集した民話や寓話の中に垣間見えるこれらの要素からは、「その話が生まれた当時、なにが最も尊ばれていたか」を推測することが出来ると思うわけです。
 

 
 ここまで飢餓に対する恐怖を書きましたが、同時にグリム童話には不可思議な特徴があります。
 それは、死生観です。
 グリム童話において「死」と言うものは、まったく恐れる必要はないものとして描かれているように思います。
 特に、五巻の「子供のための聖者物語」においてその傾向は顕著になり、やもすれば「死ぬことの大切さ」を説いているのではを感じる話さえあります。
 また、死んだ人間はいとも簡単に蘇りますし、死んだあとにも人格を持ち続けて天国やら地獄やらをうろつきます。
 「飢餓は恐れるが、死ぬことは恐れない」こんな矛盾を感じるわけです。
 あるいは、食べものもなく、死を目前にした子供を安らかに眠らせるために、このような民話が作られたのかも知れないと言うと、あまりにも悲観的すぎるでしょうか。
 もっとも、中世後期までは終末説(近いうちに世界は終わり、すべての生物が死に絶えたのちに、善人(貧者)だけが復活するという考え方)がかなり強く信じられていたので、死に対する恐怖というものが、現代の我々の尺度とは比べ物にならないほど軽かったという点も挙げないわけには行きません。
 言い方を変えると、善人(貧者)ほど死に対する恐怖は少なく、悪人(富者)ほど死に対する恐怖が強かったとも言えます。

 別の側面から見ると、中世ヨーロッパにおいて、街の中で生活することが許されない農民(人口の90%を占めていたそうです)は、土地を荘園化して、領主の庇護を受けることにより身を守りました。
 しかし、ドイツと言う国は一七世紀にヴェストファーレン条約が締結されるまで、各領主がてんでバラバラに争っている状況でした。(一応、国も無いわけではありませんでしたが、かなり不安定な状態でした)
 ヴェストファーレン条約がどういうものかというと、簡単に言えば「戦争のルールを決めた条約」です。つまり、ヴェストファーレン条約以前には戦争のルールさえもまったく決まっていない、要するに無法地帯だったのです。
 荘園制度も(事実上)ないような状態では、農民を保護するものは何一つなく、どこぞの領主が戦争一つはじめるだけで、麦も作物も略奪され燃やし尽くされ、いとも簡単に飢饉が発生したのです。
 日本の歴史に照らし合わせれば、「歴史が始まって以来、一七世紀までずっと戦国時代」と言ったところでしょうか。
 彼らにとって、飢餓や死とは、ある日突然襲いかかってきても何の不思議もない、日常の一部だったのでしょう。
 そんな死生観の中で、圧倒的多数を占めるであろう貧しい民衆の中で「死を肯定するために」生まれたのが、このような物語なのだとも思えます。

 天沼先生の講義によれば、兄ヤーコプ・グリムはグリム童話初版発行の二五年後、ハノーヴァー国王の横暴に抗議声明を出し、追放された結果、自由のために戦う士としてドイツ国民の尊敬を受け、国会議員にまでなります。
 その背景には、それまでに蒐集した民話・寓話から感じたドイツ民衆の切実な思いがあったのかも知れません。
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