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中世ヨーロッパ史に関する個人的覚書
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浅草のかわとはきもの博物館に行って来ました。
あまり多くはありませんが、様々な時代、国の靴のレプリカが展示されており、その造りなどじっくりと見てこれました。
(もっとも、国内でこう言った展示をしているところ自体が殆ど無いので、ここはかなり多いほうだと思います)
博物館の方に話を聞けないものかと相談したところ、かなり詳しい年配の方を紹介していただけ、興味深い話をたくさん聞けました。
また、世界の靴の歴史について書かれた本(詳しくは判りませんが、その方もコピー本しか持っていない、どうやら相当珍しい本の模様です)の一部をコピーさせて頂けました。
ドイツ農民の靴の代表格ともいえる「モカシン」の構造などがかなり判りやすく図解されており、非常に参考になるお土産になりました。
肝心の本のタイトルをメモするのを忘れたのが、痛恨の失敗です。



■靴のタイプおよびその作り方は、どのようなものだったか。

一般庶民や農夫はモカシンと呼ばれる足袋を簡素にしたもの(殆ど革袋)を使用していたが、靴底などパーツごとに分けて作る(いわゆる現代のような靴)も作られてはいたようです。
ただし、現代のものと全く同じような形状かというとそうでもなく、
①左右の区別がない
 右足と左足で履き分けることはなく、現代におけるスリッパのように、左右別だと不便だという認識の方が強く、脚の健康の概念はほぼなかったようです。
②靴型と呼べるものも無かった
 ①に関連して、そもそも精巧に足の形に合わせて作るというものではなかったようです。
③ヒールは高くはなかった
 高価な釘を靴に使用することはなく、産業革命以前は靴は全て手縫いだったようです。
 当然、靴底の厚さにも限度があり、縫うことが出来る厚さが靴底の厚さの限界だったようです。


■(特に一般庶民において)靴のサイズなどは個人に合わせたりしたのか。
それとも、大人用と子供用くらいの区別しか無かったのか。

大人用と子供用くらいの区別はあっても、個人レベルのサイズ調整は殆ど無かったようです。
例外的に王侯貴族などは個人用の調整があったようですが、現代のように「自分にあったサイズ」を探せるようになったのは、やはり大量生産が可能な産業革命以後だそうです。


■昔話に出てくる靴屋の小人や妖精の話には、しばしば夜中に木槌を叩いている
音が描かれるが、これは靴作りのどのような工程の描写だろうか?
革を叩いて柔らかくしている?

恐らくYESだそうです。
昔話の舞台にもよりますが、靴屋で「釘を打つ」と言う行為が行われたのが産業革命以後の話なので、それ以前ならば革を柔らかくする目的と考えるのが妥当なようです。
また、革の硬さも靴にまつわる問題の一つだったそうで、出来上がったばかりの靴はとても硬く足を痛めてしまうため、こなれて柔らかくなるまでは召使いに履かせておくなどと言うこともしばしばあったようです。
この点から鑑みても、革を柔らかくするために木槌で叩いたことは、充分に考えられるそうです。



他にも聞きたいことは山程ありましたが、なにぶんにも突然の訪問だったため、時間が押してしまいました。
忙しい中教えていただけた担当の方に感謝です。
浅草駅の周辺には、他にもいくつか皮革関係の博物館や資料館があるので、またそのうち見に行きたいところです。
課題としては膠の材料(恐らく牛の革や軟骨だとは思うが)や、その保管方法などを聞いてみたいところです。
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凪茶(ニャギ茶)
性別:
男性
職業:
くたばり損ないの猫
趣味:
ドイツとイギリス
自己紹介:
ドイツ・イギリスを中心に中世ヨーロッパの生活習慣、民俗学などを勉強しています。
最近はブリュ物語の翻訳ばかりやってます。
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