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中世ヨーロッパ史に関する個人的覚書
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 後期2回目です。
 今気づいたけど、前回の講義をまとめていませんでしたね。
 後期から参加する方もいるようで、前回はおさらいということでグリムの生い立ちとかやってたんで、取り立てて新しい内容ではありませんでした。よって割愛しときます。



 今回は「ねずの木(柏槇)の話」を中心として、グリム童話の作品としての構成や食人行為などに関する話でした。
 構成としては、初版発行のものと第七版のものとを比較し、後になるに従いそっけない記述が文学性を帯びてくる点が目立ちます。
 追加された要素はいくつかありますが、
 ・単に説明していただけの文章に情景描写が加わる
 ・描写の中には明らかに白雪姫などと被る設定が見受けられる
 ・シリアスな物語の合間に、登場人物の間抜けな描写が散りばめられる(恐らくこれは話の緊張感をほぐすための緩急であろうと思われる)
 子供に読んで聞かせるというコンセプトで編集されたものなので、後の版になるに従って、おどけた描写などで聞き手を惹きつける工夫が凝らされています。
 DVD「ジム・ヘンソンのストーリーテラー」ではお爺さんが言葉を解する犬に語って聞かせ、犬が「ひどい!」とか所々で相の手というか感想を挟み、物語の重苦しさを緩和させる機能を見事に果たしていました。
 そのような機能が版を重ねるにつれて盛り込まれていったようです。
 
 また、ねずの木(柏槇)の話では露骨な食人描写が描かれています。
 私は以前のエントリで食人行為の根底にあるのは飢餓の記憶ではないかと書きましたが、講義によれば、食人行為における宗教的意義も無視することは出来ないようです。
 例えば南米のアステカ信仰などでは、敵の肉や先王の肉を食べていたことは広く知られています。
 敵の肉を食べるというのも色々な意味があるとは思いますが、特に先王の肉を食べると言う行為に限って言えば、「力(=権力)の継承」という極めて宗教的あるいは政治的な意図が見受けられます。
 中世ヨーロッパでも、死んだ聖人の肉を貪り食う民衆の話などが伝えられているそうです。
 また、キリスト教においても、キリストが弟子たちにパンとワインを振舞った際に、「パンは私の肉、ワインは私の血と思いなさい」と告げた例に見られるように、食人行為による力の継承という概念は、形を変えて様々なところに残っているのかも知れません。
 
 ここまで講義を聞いていて思い出したのですが、日本の葬儀にも「骨噛み」と言う、独特な風習を残している地域があります。
 火葬した骨の欠片を食べるのですが、もちろん骨を食べてもお腹は膨れません。この骨を食べる行為には、空腹を満たす以上の極めて宗教的(あるいは感情的)な動機があることが想像できます。
 そして、更に想像を深めると、あるいは「骨噛み」という風習は、形を変えて日本中の葬儀で当たり前に行われているのではないかという推測もできます。
 その根拠は、火葬した際には必ず「箸を使って」骨壷にいれることが当たり前になっていることです。
 なぜ、わざわざ「食器を用いて」骨を骨壷に移す必要があるのでしょう?
 骨噛みの風習は象徴化された形で残り、多くの日本人が意識せぬ間にそれを行なっているのではないでしょうか。


 
 「ねずの木(柏槇)の話」をじっくりと読んでみると、この話には興味深い「不自然な点」がいくつか見受けられます。
 まず、真っ先に思ったことは、タイトルの不自然さです。
 このタイトルは直訳されており、ドイツ語でも同じ意味だそうです。
 この物語は、アウトラインだけを追うと、「意地悪な継母に殺された少年が、鳥の姿になってあちこちで告発の歌を歌い、最終的に継母を殺して人間の姿を取り戻すお話」です。
 はっきり言って、ねずの木はほとんど関係ありません。物語だけを見てタイトルにするなら、私がグリムの立場であれば、まず間違いなく「歌う小鳥の話」と名付けていたことでしょう。
 では、ねずの木はこの話の中でどのように登場するのでしょうか。
 
 ①子供を望む母親が、ねずの木の下で手を切り、鬱になる。
 ②母親が、ねずの木の下で願望を口にすると、鬱から回復する。
 ③母親が再び鬱になり、ねずの木の下に行くと回復する。
 ④母親が、ねずの木の実を食べることで悲しみに襲われ病気のようになる。
 ⑤遺言に従い、母親はねずの木の下に埋葬される。
 ⑥マルレーン(妹)が、殺害された少年の遺骨をねずの木の下に埋め、それによって悲しみが晴れる。
 
 以上です。
 埋葬に関しては、物語として意味が見出せますが、①~④に関しては、まったく意味不明です。これらは初版の時点から記述されているのですが、物語の構成として必要だとは、とても思えません。
 そして、その上でこの不可解なタイトルが付けられているのです。
 ここまで書きだして明らかになるのは、「鬱」と「欝からの回復」と「ねずの木」には、強い関係があるということです。
 また、これに関連して、もうひとつ気になる描写があります。
 物語の終盤で、少年の復活を予感した(らしい)父親が、非常に良い気分になるのですが、その中で「そこらじゅう肉桂のにおいがする」と言います。
 ここにおいては、欝からの回復に際してねずの木ではなく「肉桂のにおい(スーッとした香り)」がキーポイントになっています。
 
 ここで、wikipediaにて「ねずの木(セイヨウネズ)」の項目を調べて見たいと思います。
 
 ――引用ここから――
利用
 この木はよく園芸用に使われるが、小さいため他の木材のように使うことはできない。しかしスカンジナビア半島では、バターやチーズなどの日用品を入れる入れ物や、木製のバターナイフとして加工される。
 
 収れん作用を持つ紫色の熟した松かさは生で食べると苦いが、乾燥させて肉、ソース、ファルス、ジンなどの香り付けに使われる。実際にジンという言葉はネズの類を表す フランス語: genevrier (ジュネヴリエ)もしくはセイヨウネズを表す genievre (ジュニエーヴル)に由来する。
 
 また味もとても強いため、ジビエや舌など、癖の強いものの調理に少量だけ使われる。フィンランドの伝統的なビール「サハティ」(Sahti)を作るためにも必須である。さらに、ローマ帝国のペダニウス・ディオスコリデスによる『デ・マテリア・メディカ』(『薬物誌』、『ギリシア本草』)には、避妊用に使われたと記述される。
 ――引用ここまで――
 
 利用法として、「乾燥させて肉、ソース、ファルス、ジンなどの香り付けに使われる」ことが挙げられており、ねずの木は、肉などの臭みを打ち消す(つまり、スーッとした)香りを持っていることが読み取れます。
 となると、①~⑥に示した「鬱」と「欝からの回復」と「ねずの木」を結びつけるものは「肉桂のにおい(スーッとした香り)」と考えることが出来るのではないでしょうか。
 
 結論を言いますと、この童話の原型は、日本で言うところの「お婆ちゃんの知恵袋」のような民間療法の一環で、古来、悲しみや苦しみによる鬱を癒すものとして「ねずの木」が利用されてきたことを伝えるものではないかと推測します。
 この民間療法の言い伝えに様々な肉付けが行われ、いつの間にか「小鳥になって歌う少年」の話へと変化したものと思われます。
 そう考えれば、各地の民話を蒐集していたグリムが、この言い伝えの根本にあった意義「ねずの木の薬効」を風化させないために、あえて「ねずの木(柏槇)の話」というタイトルを付けたのではないかという説明ができるわけです。
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凪茶(ニャギ茶)
性別:
男性
職業:
くたばり損ないの猫
趣味:
ドイツとイギリス
自己紹介:
ドイツ・イギリスを中心に中世ヨーロッパの生活習慣、民俗学などを勉強しています。
最近はブリュ物語の翻訳ばかりやってます。
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