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中世ヨーロッパ史に関する個人的覚書
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「ハーメルンの笛吹き男」に深く関わってくるエーフェルシュタイン家という家柄について手元にある文献とwikiを中心にまとめてみる試みです。
エーフェルはEverのドイツ語読み(で、いいのでしょうか?)、シュタイン(Stein)は英語でのStone、「永遠の岩」とでも訳すのが正しいのでしょうか。



当時のエーフェルシュタイン家を取り巻く状況

1180年、当時の神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ・バルバロッサ赤髭公が、かねてより対立していた従兄弟のハインリヒ獅子公に勝利し、ドイツ北部の公領を奪取。
この戦いで赤髭公に組みしていたのがエーフェルシュタイン家、獅子公に組みしていたのがヴェルフェン家という構図がある。
赤髭公が勝利した際に、エーフェルシュタイン家はヴェーゼル川沿いに建設されつつあったハーメルン市の知行権を与えられる。

また、この頃のエーフェルシュタイン家は周辺の各地に多くの城を持ち、それぞれで獅子公に与するホンブルク家、シュピーゲルベルク家等と抗争を続けていた。
ハーメルン市におけるエーフェルシュタイン家とヴェルフェン家の抗争は、この地方全体で勃発していた赤髭公と獅子公の戦いの一幕であったことが伺える。
特にハーメルン市はヴェーゼル川にかかった橋梁(それもかなり軍事色の強い)を中枢としているので、川の西への進出を目論んでいたヴェルフェン家にとっては喉から手が出るほど欲しい街だったと言える。

ハーメルン市は管轄司教区であるフルダ修道院から事実上の独立をしており、エーフェルシュタイン家はそれを全面的に援助する構図になっていた。
市参事会、市民、エーフェルシュタイン家は完全な協力関係となり、ハーメルン市のボニファティウス律院の院長もエーフェルシュタイン家から選出するなど、完全にフルダ修道院の手を離れていく。

1259年、ハーメルン市の権益確保が不可能と判断したフルダ修道院は市の知行権を無断でミンデン司教区に売却。ミンデン司教区がハーメルン市の権益を主張したためにエーフェルシュタイン家率いるハーメルン市との抗争が勃発する。

1260年
7月28日、廃村ゼデミューンデの戦いにおいて、エーフェルシュタイン家率いるハーメルン市の若者たちが全面的敗北を喫する。
(資料には「若者たち」とあるが、恐らくこの戦い以前に事実上の決着は付いており、戦える者は子供しか残っておらず、殆ど自殺(殉死?)行為の戦闘に及んだと考えるのが妥当だと思う。詳細はそのうち)
9月13日、突然、ハーメルン市の知行権をミンデン司教区とヴェルフェン家が折半するとの告知が行われる。この間にどのような交渉があったのかは謎。
ヴェルフェン家に残っている資料には「エーフェルシュタイン家に助けを求められたので(対ミンデン戦に)加勢した」とあるそうだが、結果から見れば、それが勝者による捏造であることは火を見るよりも明らかである。

1271~1272年、北ドイツを飢饉が襲う。当時としては飢饉は珍しくはないが、このタイミングでハーメルン市を襲った飢饉が街の勢力の力関係にどのような影響をもたらしたかは興味深い。
飢饉はその度に深刻な食料の高騰を引き起こし、貧富格差の増大を招いた。
恐らくハーメルン市の多くの住民は、この飢饉を決定打としてヴェルフェン家の傘下に収まることを余儀なくされたであろう。

1277年、ヴェルフェン家がハーメルン市における権益をほぼ全面的に掌握。これによってハーメルン市は名実ともにヴェルフェン家に制圧された。
一連の戦い以降、エーフェルシュタイン家の影響力は急速に衰え、歴史の表舞台から姿を消すこととなる。



概ねこんな感じでしょうか。
とりあえず、阿部謹也氏の著書「ハーメルンの笛吹き男」にて解説されているエーフェルシュタイン家の拠点について、現在の位置とその概要についてまとめてみました。

・ハーメルン
・ポレ
・ユェルツェン
・オーゼン
・グローンデ
・ホルツミンデン
・アエルツェン(著書には書かれてはいませんが、関わりが深いようです)
・シュタットオルデンドルフ(同上)



ハーメルン
http://ja.wikipedia.org/wiki/ハーメルン

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有名な物語「ハーメルンの笛吹き男」の舞台。
エーフェルシュタイン家とその宿敵ヴェルフェン家の抗争の中心となった。
ヴェーゼル川にかかる橋、そのすぐ横に作られたボニファティウス律院を中枢として発展した街である。
街の紋章に石臼を持ち、粉挽きがこの街の大きな産業であったこと、またその粉挽きを必要とする小麦などの穀物が豊富な土地であったことも伺える。

ちなみに当時の「粉挽き」と言う職業は、賤民視されつつも数多くの特権を持っている、極めて特殊な職業であった。
ゆえに粉挽き小屋(=水車小屋)が複数立ち並ぶ風景とは、当時の常識に当てはめると、かなり異様なものであったと思われる。
粉挽きが賤民視された理由は大きく分けて二つある。
一つは、小麦を粉にすると確実に量が減るため、泥棒のように思われていた事。
もう一つは、「水」と言う自然の力を操る「異能力者」だからである。
ハイネの解釈に照らし合わせると、キリスト教の普及により水の精霊ニクセはトイフェル(悪魔)の一種に位置づけられ、水力を利用する粉挽きは「どうやらトイフェルと契約しているらしい怪しげな人物」であった事になる。

同時に当時の領主は粉挽きに特権を与え、一般人が各自で勝手に粉を挽くことを禁じていた。粉挽きは挽いた粉の一部を取り分とし、かなりの財産を蓄える者もいたと言う。
賤民視つまり村八分のような状況に陥っても困らない立場であり、かつ一般人が無視し通すこともできないと言う、極めて特殊な立ち位置に居たのが粉挽きなのである。
推測だが「粉挽き」になることができたのは、支配階級の関係者(城を相続できない次男、三男など)だったのではないだろうか。
いずれにせよ、彼らが「水車使用強制権(バナリテとも呼ばれる)」なる奇妙な特権を持っていた事は事実である。
中世世界の一般人にとって、水車小屋とは「トイフェルの気配を漂わせつつも、誰もその権利を侵害することの出来ない、この世ならざる領域」だった。公権力の及ばないアジール(聖域、日本的に言えば駆け込み寺)としての性質があった事も記録されている。

以上を踏まえると、当時の小規模都市において「水車小屋が立ち並ぶ風景」と言うものが、どれほど異質なものであったかは、想像に難くない。
後述するが、すぐ南に位置するオーゼンおよびグローンデ(現在のエンマータール)周辺が「城の乱立地帯」であった事も、この異質な風景を説明する鍵になっているとも考えられる。
追記:4つほどの城がある程度では「乱立地帯」とはいえないそうです。ただし、軍事橋梁の存在や穀倉地帯の中心地であるために、周囲の城や諸侯が影響を及ぼそうと介入していた可能性は非常に高いようです。

そして粉挽き小屋の最大の敵は、言うまでもなくネズミである。
ネズミ退治の報酬を支払われなかった報復に大勢の子供を連れ去った「ハーメルンの笛吹き男」の伝説は、このような土壌で生まれたのである。



ポレ
http://ja.wikipedia.org/wiki/ポレ

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有名な童話「シンデレラ」の発祥の地として知られる街である。(とは言え、シンデレラ自体フランスのペロー童話を元に作られているらしいので、後付け設定である可能性が高い)
エーフェルシュタイン伯の城跡が残っており、wikiによればここにあるポレ城こそがエーフェルシュタイン伯の本拠地だったとある(恐らく街の広報がソースと思われる)が、エーフェルシュタイン城として文献に載ったのが1285年(エーフェルシュタイン家が既に没落している時期)であり、不自然さを感じる。
エーフェルシュタイン城のwiki(後述)によれば、エーフェルシュタイン城はここではなく、ポレ城より東南東10キロ地点にあったとする説が有力な模様。



ユェルツェン
http://en.wikipedia.org/wiki/Uelzen

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検索しても「ユルツェン」しかヒットしないが、綴りが「Uelzen」であることから、ここを指していると思われる。
しかし、疑問点としてエーフェルシュタイン家の本拠地からあまりにも遠すぎる事が上げられる。
wikiを見てもエーフェルシュタイン家に関する記述は見られない。またこの町の設立は1277年となっており、この時期はエーフェルシュタイン家の没落期に該当する。
この時期のエーフェルシュタイン家に、新しい街を作る力があったとは到底考えられない。
地理的にはむしろ宿敵ヴェルフェン家の拠点であるハノーファー市やブラウンシュヴァイク市に近い。

更に、こことハーメルン市以外のエーフェルシュタイン家の拠点となった都市の紋章には、必ずといって良いほどエーフェルシュタイン家の紋章である「冠獅子」の図案が入っているが、ここユェルツェンの獅子に関しては「冠」を頂いていない。
この図案はむしろ宿敵ヴェルフェン家の拠点の一つブラウンシュヴァイク市の紋章に近いと言える。
参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/ブラウンシュヴァイク
素人考えではあるが、エーフェルシュタインに縁の強い「アエルツェン」という街(後述)があるので、大元となった資料(恐らくラテン語で記述されているもの)にて混同されていた可能性を考慮するべきか。
あるいは、かつてこの名で呼ばれた町が他にもあったと言う可能性も考えられる。



オーゼンおよびグローンデ
http://ja.wikipedia.org/wiki/エンマータール

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現在の「エンマータール」の旧名にそれぞれの名が見受けられる。
エーフェルシュタイン城の直轄地のような位置づけで、没落期にはホムブルク家との抗争の舞台でもあった。
オーゼンやグローンデは統合される前の土地の名前で、それぞれにエーフェルシュタイン家の城があった模様。
他にもヘーメルシェンブルク(これも古い地名)城などの記録があり、城の密集地帯だったことが伺える。
現代日本の感覚で言うならば、エーフェルシュタイン城を東京駅とすると、エンマータールは新宿の超高層ビル群のような位置付けだった事が想像できる。
となると、ハーメルン市はオーゼン城やグローンデ城の第二の城下町(構造的に軍事城砦では無いので、直轄の経済都市)のような関係にあったのではないだろうか。
城が沢山あるということは、その城を相続できない次男、三男も城の数に比例して居たと言うことでもあり、彼らが周辺の都市にて特権を持つ職業に就いた事も自然と言える。
追記:ハーメルン周辺は決して城の乱立地帯とはいえないようですが、しかし城を相続できない次男・三男の存在は紛れもない事実です。よって、この部分はまだ否定はしないでおきます。

阿部謹也によれば、中世貴族の次男、三男は婿入り先を探して遍歴騎士となることが多かったようだ。
しかし、少なくともこの時期に限って言えば、北ドイツでは赤髭公と獅子公の戦いが激化していた。戦争の真っ只中を命の危険を犯して遍歴するよりも、ハーメルン市のような受け皿となる都市に落ち着く方が現実的だったのではないかと想像する。
こう考えれば、前述した「ハーメルン市の異質な風景」を説明することが出来るのではないだろうか。



ホルツミンデン
http://ja.wikipedia.org/wiki/ホルツミンデン

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wikiによれば、「おそらく1197年から1202年までの間にエーファーシュタイン伯の市場町・関税所として nova plantatio(新しい町)が建設された」とされる、ハーメルンと並ぶエーフェルシュタイン家によって作られた街といえる。
1408年にヴェルフェン家およびホムブルグ家と戦った記録があり、この地ではかなり後期までエーフェルシュタイン家は持ちこたえていたことがうかがえる。



アエルツェン
http://ja.wikipedia.org/wiki/アエルツェン

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エーフェルシュタインの別の呼び名「エーファーシュタイン家」で検索するとヒットする街。
エーフェルシュタイン家と関わりが強く、直轄地であった時期もあった模様。
wikiによれば、ヴェルフェン家ブラウンシュヴァイク公に押され、没落しつつあるエーフェルシュタイン家が助けを求め、隠居先としていた街らしい。
1408年ヴェルフェン家との婚姻関係を結んでおり、これを持って事実上完全に吸収されたと見るべきか。



シュタットオルデンドルフ
http://ja.wikipedia.org/wiki/シュタットオルデンドルフ

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かつてのエーフェルシュタインの本拠地、エーフェルシュタイン城があった場所。
著書には「エーフェルシュタイン城」とのみ書かれており、それがどの土地に存在していたのかが書かれていなかったため、地道に探した。
各都市のドイツ語wikiを調べ直したところ、アエルツェンにて、なんとズバリ「Burg Everstein(エーフェルシュタイン城)」のリンクを発見。
Burg Everstein:http://de.wikipedia.org/wiki/Burg_Everstein
ここに掲載されている地図の座標から割り出す事で、現在のシュタットオルデンドルフの西の森に存在していた事が判明。(正確には、地図上のネーゲンボルンの南西、アルホルツェンの北西にあったらしい)
街の北にホムブルク城跡という史跡があるが、こちらはエーフェルシュタインとは関係ない模様。



既に触れていることですが、それぞれのwikiに掲載されている町の紋章を見ると、ユェルツェンを除く全ての町においてエーフェルシュタイン家の紋章である「冠獅子」が意匠されている事が判ります。
何故か肝心のハーメルン市に関してはこの限りではありません。ハーメルン市はエーフェルシュタイン家とヴェルフェン家の抗争の大きな舞台だったことと関係があるのかも知れません。非常に興味深いところです。

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