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中世ヨーロッパ史に関する個人的覚書
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ロビン・フッドは実在したのでしょうか。それとも、架空のヒーローなのでしょうか。
 少なくとも「ロビン・フッドを名乗る人物」が13世紀イギリスに実在していたことは、紛れも無い史実です。
 しかし、その「自称ロビン・フッド」が、すなわちオリジナルのロビン・フッドであるかどうかは、確認するすべはありません。
 もしも彼がオリジナルでないのであれば、それ以前にオリジナルが存在したことになります。
 しかし、もしかしたら「自称ロビン・フッド」も架空の義賊にあこがれて、ロビン・フッドを名乗っていただけかも知れません。
 この研究はかなり大昔から行われており、現在では1228年の記録にまで遡ることが出来るようです。

 当時のイギリスにおいては、いわゆる英語の原型となったケルノウ語、ブレイス語、カムリー語が使われていましたが、これらは「話し言葉」のみで、「書き言葉」はすべてラテン語でした。
 そしてラテン語は教会に関わるものしか学習する機会は与えられなかったため、ロビン・フッドのような「義賊」「庶民の味方」、つまり「下賤の輩」に関することがラテン語で言及されることはほとんど皆無でした。
 このためロビン・フッドに関する史料は少なく、見つかったとしても貴族や王室関係者に限られていたのです。
 あるいは、ロビン・フッドについて「リチャード一世と関わりがあった」「盗賊王子」「礼儀正しい盗賊」などのように伝えられているのは、「身分が高い人物の名前でなければ、そもそも史料に残らない」というラテン語的事情によるものなのかも知れません。

 こういったロビン・フッド研究のなかで、史実に基づき実在を確認できる説はあまり多くはありません。
 現在手元にある資料本のなかでは、法律文化社の「ロビン・フッド 歴史学からのひとつの試み(ジョン・ベラミ著/鈴木利章・赤坂俊一訳)」が、出典を明らかにしている点でもっとも参考になるのですが、なにぶんにも翻訳本ということもあり、とても読みにくくて苦労しました。
 そのなかから、実在を確認できる説を中心に、当時作られた劇やバラードを交えて紹介していきます。



◆ロバート・フィッツウース(1160年頃)

 ジョセフ・リットソンが1795年に提唱した説です。
 ウイリアム・ステュクリが同時期に発表した「英国古文書学」の「ゲント家の系図」にこの名前があり、リットソンはロバート・フィッツウースこそがロビン・フットだと主張しました。
 彼の推測によれば、1160年生まれのハンティンドン伯であろうとされています。
 しかし、リットソンが参考にしたという家系図はステュクリによって手を加えられており、架空の人物が混入されていたことが、後に発覚しました。
 ステュクリの真意は計りようもありませんが、この脚色された家系図以外にロバート・フィッツウースの存在を示す史料が皆無であるため、この説の信憑性は薄いと言われています。



◆ロバート・ホッドまたはホッブ・ホッド(1230年頃)

 L・V・D・オーウェンが1950年に提唱した説です。
 現時点においては、実在していたことをはっきりと確認できる最古のロビン・フッドと言えます。
 1228年、1230年、1231年の脱走者にホッブホッドの名があり、またの名をロバート・ホッドと呼ばれていた、とあります。
 この人物に関する史料は多くはありませんが、「史実にロビン・フッドらしき名が現れるもっとも古い説」という点でその意義は大きく、少なくとも、彼がロビン・フッド本人であった可能性は充分にあると言えましょう。
 仮にそうでないのであれば、彼がその名前を借りたであろう「オリジナルのロビン・フッド」はこの時期よりも更に昔にいたということになるわけで、こうなると更に古い文献に基づく新説が発表されない限り、その実在を確かめることはほぼ不可能ということになります。



◆ロバンとマリオン(1276年)

 アダン・ド・ラ・アル作の牧歌劇です。
 農村などでジョングルールや吟遊詩人によって演じられたり、あるいは農民たちが演じたりしていた演劇で、町や村によって色々なバージョンがあったようです。
 1275年に作成、初公演は1276年とされています。
 ロバンとはフランス語における「ロビン」であり、マリオン(マリアン、あるいはマリア)はそのままロビン・フッドに登場するヒロインの名前です。
 牧歌劇の物語は次のようなものです。

 ・ロバンの恋人、羊飼いの娘マリオンが行きずりの騎士に口説かれるが、冷たくあしらう。
 ・騎士によってマリオンは連れ去られる。
 ・ロバンが仲間たちと騎士の館を取り囲み、降参した騎士はマリオンを解放する。
 ・貴族や王族に扮装した村人たちによる祭りが行われる。

 また、最後の祭りのシーンではロバンとマリオンが国王と王妃の扮装をして登場することが多かったと言われています。
 「ロバンとマリオンの恋人としての関係」、「騎士との対立」、「貴族や王族に対する反骨表現」など、ロビン・フッド活劇との共通点が数多く見受けられることがきわめて興味深く、これを「偶然の一致」として片付けることは難しいでしょう。
 ちなみにロビン・フッド関係で「マリオン」という名前が最初に現れるのは、この牧歌劇です。
 イギリスにおけるロビン・フッドの義賊としての評判がフランスに伝わり、アダン・ド・ラ・アルがそれを元にこの牧歌劇を作ったという可能性は、充分にあるのではないでしょうか。



◆ギルバート・オブ・フレッチング(ロビンホッド)(1296年頃)

 B・B・ドブソンおよびJ・テイラーが1976年に提唱した説です。
 正確には、J・C・ホルトが1960年に提唱した「13世紀説」を、具体例を出して補完したといった形になっています。
 1296年サセックス州の特別補助金簿にギルバート・オブ・フレッチングの名が登場し、彼は二つ名としてギルバート・ロビンホッドを名乗っていたそうです。
 しかし、この人物に関して残っているのは名前だけで、彼がいわゆるロビン・フッド的な、つまり盗賊や義賊として活動していたという記録は一切ありません。
 単に名乗っただけという可能性もありますし、あるいは本人の血縁者(子孫)だった可能性もあります。
 少なくとも、「1296年の時点では”英雄像としての”ロビン・フッドが一般に知られていた」という確かな証拠となることは間違いありません。



◆ロバート・フッド、ロビン・ホード(1324年頃)

 ジョセフ・ハンターが1852年に提唱し、その後多数の学者によって補足された説です。
 1324年4月~12月の御座所日録に国王エドワード二世の御座所の従者としてロバート・フッドの名が登場しており、ウェイクフィールドの荘園裁判記録にも記載されています。
 ステイントン家の血縁である可能性も指摘されており、ステイントン家の女性のひとりがカークリーズ女子修道院(=モンクブレトン修道院?)の院長だったことも確認されています。
 当時、トマス・オブ・ランカスタ伯が身分の低いものを支援したかどで罰を受けており、彼に同調していたモンクブレトン修道院も罰金を支払ったそうで、ハンターはこの修道院とステイトン家の関係にも注目し、この修道院が森の仲間(あるいはその支援者)になったという可能性を指摘しました。
 1323年6月5日~18日に「ロビン・ホード」なる人物が門番としての給料を受け取った記録があり、おそらくこれは上記ロバート・フッドと同一人物でしょう。
 年代的には前述のギルバート・オブ・フレッチングよりも更に後であるため、「ロビン・フッドの名が知られていた証拠」とするには目新しくはありませんが、同時期にロビン・フッドにまつわる他の登場人物らしき名前が散見されることが、この説を後押ししています。
 例を挙げると、1327年の裁判文書にてサー・リチャード・オブ・リーの名が登場しており、この人物こそサー・リチャードの原型と言われています。
 また、1323年~1324年にかけての宮廷の記録にリトル・ジョンの名が登場しており、この名もまたロビン・フッド活劇ではお馴染みの主要メンバーのひとりです。



◆ジェスト・オブ・ロビン・フッド(ロビン・フッドの冒険譚)(1400年代)

 15世紀前後に作られたとされるバラードで、作者は不明です。
 しかし、その完成度の高さから、単なる口伝や名も無き詩人の作ではなく、正式なパトロンを持ったトルバドールやミンストレルの手による作品であろうと言われています。
 現在のおよそ一般的な「ロビン・フッド活劇」の原型とされており、これ以降に発表されるロビン・フッドの多くにこの作品との共通点が認められます。
 特徴としては、以下の登場人物によって「ロビン・フッドとその仲間たち」というアウトラインが形成されております。

 ・リトル・ジョン
 ・スカロック
 ・粉挽きの息子マッチ
 ・サー・リチャード
 ・ノッティンガムの悪代官
 ・国王

 興味深いのが、このジェスト・オブ・ロビン・フッドにはマリアンは登場していないという点です。前述した「ロバンとマリオン」が後に作られるロビン・フッド活劇に盛り込まれ、今の形になったのかも知れません。
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■ロビン・フッド伝説

 ご存知、ロビン・フッド。かつて実在したと言われている中世イングランドの義賊です。
 このあたりを題材に書きたい話が浮かんできたので、関連書籍を読み漁って勉強しています。
 とにもかくにも、「ロビン・フッドに関して、知らないことはない」くらいのレベルを目指して行きたいところです。
 ある程度まとまり次第、更新していきます。



◆アウトローとはなにか? 
 
 ロビン・フッドのことを調べると必ず出てくるキーワードに「アウトロー」というものがあります。
 そのまま直訳すると「無法者」となり、ラッセル・クロウ主演の映画でもそのように翻訳されていました。
 しかし、この映画のラストでジョン王が宣言していた「ロビン・フッドを無法者とする!」という表現にイマイチしっくり来なかった人も多いのではないでしょうか。
 日本語で「無法者」というと、「乱暴者、チンピラ、愚連隊」のような意味合いで解釈されることが多いのが、その原因だと思われます。
 つまり、ジョン王はロビン・フッドを指して「あいつは悪いやつだ!」と喚いただけのように見えてしまい、「うん、それで? 悪口言っただけ?」みたいな拍子抜け感が漂ってしまったわけです。
 かと言って、翻訳が悪かったとは一概には言い切れません。なぜなら、やはり「アウトロー」には「無法者」以外に該当する言葉がないからです。
 問題は「無法者」という翻訳ではなく、「アウトローという言葉の持つ重み」にこそあるのです。
 
 実のところ、中世イングランドにおいて「アウトロー」という言葉は、現代日本人にとっての「無法者、チンピラ」とは比較にならないほど重い意味を持っていたのです。
 日本では「無法者」というと「法律を守らない者」という意味合いが強いと思われますが、中世イングランドにおいて「無法者」とは、「法律で守られない者」だったのです。
 実際問題として、中世イングランドにおける「アウトロー宣告」とは、最も重い刑罰のひとつでした。
 それはどのようなものかというと、文字通りに「法律で守ってもらえない」というもので、神聖ローマ帝国における「平和喪失刑」に近いといえます。
 具体的には、
 
 ・すべての街や村への出入りを禁止
 ・あらゆる取引を禁止
 ・アウトローとの取引に応じたものもアウトローと見なされる
 ・アウトロー発見の際には殺害を推奨
 
 このようなものでした。(ちなみに後ろの二つは神聖ローマ帝国の平和喪失刑ではあまり聞きません。この二点において、数段重い刑罰という印象を受けます)
 ようするに「死刑にしたいけど、逃げまわってるから殺せない」というだけの指名手配犯とでもいいましょうか、事実上の逃亡死刑囚と言い換えることもできます。
 アウトロー宣告とは、決して「チンピラの烙印を押される」というだけの軽いものではなく、それこそ死刑に匹敵する刑罰だったのです。
 
 これを踏まえて問題のシーンを見直すと、ジョン王は「ロビン・フッドは悪いやつだ!」と言ったのではなく、「ロビン・フッドを追放する! 見つけ次第処刑せよ! 奴に関わったものや助けたものも同罪とする!」と宣告していたことがわかると想います。


 
◆なぜアウトローがヒーローになったのか? 
 
 ロビン・フッド活劇の舞台は、一般的にはイングランド国王リチャード一世の時代とされています。(実際には諸説あります。次回以降のエントリで解説していきたいと思います)
 これが正しいかどうかは横に置いといて、今現在、我々が見ることのできるほとんどのロビン・フッド活劇において、なんらかの形でリチャード一世が登場しています。
 では、リチャード一世(在位1189年~1199年)の時代とは、どのような時代だったのでしょうか?

 当時のイングランドには、1066年にウイリアム征服王が規定した狩猟法という悪法があり、これにヨーマン階級(農奴と貴族の中間層、独立農夫とでもいいましょうか)が強く反発するという構図がありました。
 この狩猟法がどのように悪法なのかというと、一言でいえば「王の森の鹿や猪を狩ってはいけない」というだけの単純なものです。
 しかし、その効力は森から離れた場所にも及び、「王の森から出て畑に現れた鹿や猪」も狩猟禁止対象になったのです。
 この結果、なにが起きるかというと、
 
 「王の森から出て畑に現れた鹿や猪を狩ってはいけない」
   ↓
 「どの鹿や猪が王の森から出てきたのか判別不可能」
   ↓
 「事実上、すべての鹿と猪を狩れない」
   ↓
 「畑をどんなに荒らされても手を出せない」
   ↓
 「畑が全滅」
 
 このような状態になるわけです。
 日本の歴史で例えるのであれば、徳川綱吉の「生類憐れみの令」に近いでしょうか。

 畑を失ったヨーマンが生きるために密猟に手を染めることは、必然と言えましょう。そして、そのような密猟者に対して代官が下した刑罰こそが「アウトロー宣告」でした。
 畑を荒らす鹿や猪に悩まされ、しかし手を出すことも出来ずに歯軋りをしている農夫にとって、森に潜んで鹿や猪を狩るアウトローたちは、「害獣を駆除してくれる」「悪代官に敵対している」などの複数の意味でヒーローだったことでしょう。
 ロビン・フッドは常に「義賊」として描かれますが、これにはこのような背景があったのです。
 この悪法は、1215年にジョン王が調印を余儀なくされた大憲章マグナカルタで撤廃されることになりますが、ラッセル・クロウ主演のロビン・フッドはまさにこのマグナカルタに繋がる物語として描かれたというわけです。

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ドイツ・イギリスを中心に中世ヨーロッパの生活習慣、民俗学などを勉強しています。
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